いつ何が降りかかってきても文句は言えない【雑文】
今日、改めて思い知らされたことがある。それは、
「僕たちはいつ何時、どんな悪いことが降りかかってきても文句をいうことはできない」
ということだ。
ここ数日、精神が不安定になっていて、自分のアイデンティティを見失っていた。自分を見失い、過去の教訓を忘れて、現実に流されるがままになっていた。そんなちょっとゆるんでいた僕に、人生は教訓を思い知らせてくれた。
何もかもうまくいく日もあれば、悪いことが一斉にやってくる日もある。
昨日、大切な人の誕生日を祝ってあげることにしていたのに、僕は途中で体調を崩してしまい、十分に祝ってあげることができなかった。自分のふがいなさに憤りを感じつつ、意識が朦朧とするなかで家に帰った。普段めったに体調を崩すことはないのになぜこんな日に限って……、と運の悪さを嘆いた。
ほとんど眠ることもできずに翌朝になって会社に行くと、朝一番の会議で司会を担当するはずだった同僚が急に休んだため、僕が代わりに司会をすることになった。ほとんど準備できていないし、意識も朦朧としている中でぐだぐだの司会をやってしまい、周囲からの評価を下げることになってしまった。
昨日の夜から散々な目にあった。悪いことは一斉にやってくるものだと感じた。
なぜこんなに悪いことが続くのだろう、と憤った。
「今回、自分が大切な人や会社の人からの評判を落としたのは運が悪かったせいだ。本当の自分はこんなんじゃない!」
と最初は考えていた。
でも、体調が良くなって考えてみると、周りからしてみれば僕の運の悪さなんてわかるはずがないじゃないか、と気づいた。運のいいときの僕も、悪いときの僕も、そのとき僕を観た人にとっては、どちらも僕であることに変わりはない。僕のその日の運に関係なく、「あの人はああいうひとなんだ」と思われるだけだ。それに、運のよさも悪さも含めて、僕がしたパフォーマンスは全て僕の行動結果(仕事)じゃないか。
つまるところ、運の悪さを言い訳にすることはできないということだ。
いつ何が降りかかってきても、僕たちは文句を言うことはできない。
一生分の運の悪さが一気に押し寄せてくることだってありえなくはない。空から大量のイワシが降りかかってくることもあるかもしれない。それでも僕たちは文句をいうことはできない。僕たちにできることは、あらゆる運の悪さにあらかじめ準備をしておくこと。それでも、容赦なく押し寄せる運の悪さを防ぎきれなかったときには、ベストを尽くすしかない。