地図とコンパス

人はときに美しいと思える瞬間に出会うこともあります。人生の地図とコンパスをつくっていきましょう。

教育の破壊 / ニッポンのジレンマ「ディスラプトってなんだ?」

価値観をゆるがされる話を聞くことができた。テーマである「教育」と「ディスラプト」のつながりはいまいち理解できなかったが、いままで受けてきた教育への僕がもっている価値観はディスラプトされた。

 

「キングス・クロス駅の写真をみて感じることを述べなさい」
大学入試ではこんな入試問題が出されるそうだ。おそらくこの問題は瞬発的なエッセイの力を試されているのだろう。Google検索のような外部から情報を得る手段のない状況で、いかに自分の魅力を人に伝えられるか。そういう力が大学入試で試されるようになっているわけだ。

社会人になってから感じるが、こうした瞬発的に意見を述べる能力というのは、社会で常に試される。エレベーターテストや会議での発言、休憩時のちょっとした会話のときなど、、、

僕が受けてきた学校教育では、こうした瞬発的に自分を伝える能力というのはあまり求められてこなかった。詰め込み教育がいかに実社会で求められる能力とかけはなれていることだろう。

 

フーコーが指摘したらしいが、学校・軍隊・刑務所はおなじ構造で成り立っているそうだ。僕は学生時代を美化して振り返ってしまうことが多いが、あの頃は苦しいことがとても多かったのは事実だ。新しいことを知るのは楽しかったが、宿題を出されたり定期的に試験をされるのは苦痛だった。僕が感じた苦痛は、学ぶために必要なものだったかというと疑問をもたざる得ない。苦痛のあるところに矛盾があり改善の余地がある。きっと学校教育はまだまだ不完全なのだ。

 

十代は学ぶ期間で、二十代を超えると働かなくてはいけない、という現代の人生設計の考え方にも疑問をもつべきだと神野さんが言っていた。僕自身、社会人になってからの方が学びへの意欲が高くなった。この先一生働き続けなければいけないと思う必要はないんだ。神野さんの発言に希望をもらえた。

 

この番組は、そもそも教育とは何なのか、教育は必要なのかという視点を抱くまで、今の教育に対する価値観を「ディスラプト」してくれた。