地図とコンパス

人はときに美しいと思える瞬間に出会うこともあります。人生の地図とコンパスをつくっていきましょう。

ガラクタから生まれた生命

 地球という広場に転がっているガラクタから、長い年月をかけて生命が生まれたらしい。

DNAという高分子は、4つの塩基がそれぞれ決まった塩基とのみ水素結合する性質を、うまく利用することに成功した。その性質は、生命と進化の要となる、自己複製をもたらすこととなった。

一方、細胞は、リン脂質という親水性と疎水性を合わせもつ高分子を互いに向かい合わせることで、地球上に大量に存在していた水を、内部と外界とで隔てる膜を作ることに成功した。さらに、タンパク質を膜の表面に突き刺すことで、外界から安全に必要な物質だけをもちこみ、不要となったものだけを捨てる機能をもった。

20種類ほどのアミノ酸が組み合わせられてつくられるタンパク質は、驚異の機能性をもつ。外界から取り込んだ物質からエネルギーをつくりだし細胞を活動させるかと思えば、邪魔な動きをする他の物質を排除し、また、外界と細胞内のあらゆる情報を伝達することだってできる。細胞は、タンパク質の働きによって、不安定な外界から隔てられた膜の中で、恒常性をもつこととなった。

さらには、タンパク質の多様な機能性は、その生成をコントロールすることによって、自在に自身をコントロールできるという特性ももたらした。タンパク質を構成するアミノ酸は、DNAの4種類の塩基の3つの並びに、各々の席次を与えられた。DNAは長い螺旋状の高分子となり、タンパク質合成の設計書となった。ヒトのDNAは、約2万個のタンパク質の設計書である。

セントラルドグマというシステムによってDNAはコピーされ、細胞は自分とほぼ瓜二つの細胞をつくりだす。このシステムはその有効性から、地球上のあらゆる生命の基本原理にまでなっている。

DNAは、自分とほぼ同じ自分を作る。例えば、ふたりの自分がいたとき、片方は自分と少し違っている。ある閉鎖された環境下に置かれたとき、もう一つの自分は、再び自己複製を行う前に栄養失調で死んでしまった。自分を複製したところ、さっき死んだ自分よりは自分と似ているが、また少し違う自分が生まれた。自分は複製に成功する前に死に、もう一方は死ぬことなく複製していった。自然選択の始まりである。

この自己複製と自然選択の連鎖が果てしない時間をかけて繰り返されていった後、細胞は想像を絶するような多様性を獲得することとなった。

細胞は、DNAの一部分にうまくメチル基をくっつけることにより、特定の機能に特化した細胞をつくりだした。ある細胞は、外界の電磁波のうち、特定の周波数のもののみに反応する機能をもった。ある細胞は、空気中から酸素を効率よく取り出す機能をもった。また、ある細胞は、数十キロ以上の重さに耐えるだけの強度と軽量性を備えた。それらの多様化した細胞は必要な機能を持つものたちで集合体となり、多細胞生物となった。

多様化した細胞のうち、互いに情報を伝達する機能に特化したものが現れた。電荷を持つイオンと、高分子を利用することにより、膜で隔てられた細胞同士が、互いに情報をやりとりすることができるようになった。神経細胞と呼ばれるこの細胞の、一個一個の特徴はこれだけだったが、数百億を超える神経細胞が、それぞれ1万の神経細胞を相手に情報のやりとりを始めたときには様子が違ってきた。彼らは神でさえ予測もつかないような機能性を獲得し始めた。

数百億を超える神経細胞の集まりは、特定の周波数の電磁波を感知する細胞からの二次元の情報をもとに、三次元的な外界を構成する。その電磁波の情報は二次元的には数百万画素のスカスカの情報であるにも関わらず、どんな高精細モニターよりも細かやかな世界を人間にみせる。また、伸縮する機能をもつ細胞で複雑に構成された四肢を、意識することなく自在に動かすこともできる。たった数個の自由度をもつ倒立振子でさえ、複雑な状態方程式を解かなければ、地球上で起立した状態を維持することもできないのに、人間はいともかんたんに地球上で複雑な動きを成し遂げる。

 数百億✕1万個という天文学的数字もある神経細胞同士のつながりは、一個一個が個性を持っている。これらは、視覚などを通して得られる外界の情報を、とてつもない速さで処理していく。外界の情報は、完璧な記録としてではなく、事物のある共通点だけを抽出する汎化という操作を行い、記憶として蓄えられていく。そういった機能は、人間に言語を与え、自身を客観視する能力を与えた。人間は、絶えず変わりゆく体と外界の中で、常に変わらないと感じられる自我をもち、過去の経験から表現を選択する自由を得た。一個一個の神経細胞は、情報のやり取りをしているだけであるのに、集合体となると、神でさえ予測できないだろうと思わせる機能性をみせるようになった。

DNAの自然選択が数億年以上という長い年月をかけて進化していくのに対して、人間ははるかに早い進化の手法を手に入れた。言語は、経験を記録し、歴史を作った。歴史は、過去の人間の残した到達点を残し、次の世代の人間が始める初期値を引き上げた。人間は、自分が生きるために必要なエネルギーよりもはるかに多くのエネルギーを生産できるようになり、自然選択の条件であった外界をも、都合のいいように制御できるようになってきた。さらには、人間を制御し創り出す技術をもつようにもなった。 

人間は、地球に落ちていたガラクタから生まれた。細胞が水で満たされ、ナトリウムが生命活動の重要な働きをしているように、地球に豊富に存在している物質で私達はできている。違う星に生命がいるとしたら、彼らはその星のガラクタから構成された生命になっているのだろう。

僕は地球のガラクタで、周りに沢山いる、同じようにガラクタでできた人間たちは、彼らなり彼女なりに、今日も一生懸命生きている。

 

 

 【参考文献】

 

 

 

若い読者に贈る美しい生物学講義 感動する生命のはなし

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  • 作者:更科 功
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  • メディア: 単行本(ソフトカバー)