地図とコンパス

人はときに美しいと思える瞬間に出会うこともあります。人生の地図とコンパスをつくっていきましょう。

宝くじの夢②

ジャンボ宝くじは、1ユニット1000万枚のうちに各当選番号が入っている。

一等の金額と本数は場合によってちがうので、仮に4月から発売予定のドリームジャンボ宝くじをもとに計算してみる。

1ユニット1000万枚で一等3億円が各ユニット1枚

二等は1億円なので除外。

一等の確率は1000万分の1で3億円となる。

 

ロト6とロト7はそれぞれ6個と7個の数字を選んでその数字の組み合わせで当選が決まる。

ロト6の場合、43個の数字から重複無しで6個の数字を選ぶ、43C6=6096454の組み合わせ。そのうちの一つが一等の約2億円となる。つまり609万6454分の1。

ロト7は同様に37C7=10295472なので、一等は1029万5472分の1で約4億円。

どちらも二等以下は1.5億円以上ではないので除外。

 

まとめると、

 

 

 

 

宝くじの夢①

いきなりだけど、毎日働かなくても生活できる金額を宝くじで当てるにはどうしたらいいかということを考えてみる。

働かなくても生活できる金額は1億5千万円とする。これは、今の仕事を60歳まで続けたときの自分の今後の収入の総額の概算をもとにしている。退職金は含めていない。実は、実際に計算すると2億を超えるが、独身で最低限生活できればよいという考えなら、これよりも少なくなるはずだという考えでだいたい1.5億円にした。ただ、宝くじがあたった際に、仕事をきっぱりと辞める決断をするとしたら、これくらいの額はほしいところだと思う。この考えで行くと、年齢が上がるにつれて必要な額はへっていく。

宝くじの当選金については非課税らしいので当選額が1.5億円というのを目標額にすれば良い。

当選金が低いものを複数回当てて目標額を目指すということも考えられるけど、計算が面倒なので一回の当選で目標額を達成することを考える。

まず、1.5億円以上の当選が見込まれる宝くじの種類は、

でとする。

※キャリーオーバー時の最高当選額は含めていない。

 

地図とコンパス

 

地図:地球の平面の一部、または全部の有様を平面上に縮めて表したもの。

コンパス:=羅針盤 

 →羅針盤:磁石が南北を指す性質を利用して進路をきめるための方角を知る器械。

(例解新国語辞典第六版)

 

地図はどこに何があるかを知る手がかりになる。(知りたいものが表記されていれば)

コンパスがなくても地図があれば行きたい場所にいけるかもしれない。ただ、なにか目印のあるものがあればの話だ。海の上や砂漠や森の中など、自分の居場所が地図上のどこにあるかを確認できるような指標を見つけるのが困難な状況にあれば、地図は役に立たない。

自分がどこにいるのかわからなくなったら、地図をみて場所を探せばいい。

地図上の自分の居場所がわからなければ、コンパスをみて手がかりとなる場所のある方角を目指すしか無い。

 

「17歳の地図」③ 17の憂鬱

”17のしゃがれたブルースを聴きながら”

なんともいかした(うがってみれば厨二病的な)科白で始まる。しゃがれたブルースというのは、タバコが原因で嗄れた、もしくは桑田佳祐ぽくかっこつけてしゃがれた声でうたっている自分の声、ということか。

”街角の俺たちの頑なな心と黒い瞳には悲しい影が”

ここで「俺」という一人称ではなく「俺たち」としている。”愚痴をこぼせばみんな同じ”ことをいうように、彼らの仲間は楽しみも寂しい影(憂鬱)も共有していたということだ。

彼らの憂鬱とは一体なんだろう。

”親の背中にひたむきさを感じ”始めた、ということは、社会で生き、自分たち子供を育ててきたという裏にはたくさんの苦労があったということを知り始めたということを意味している。

いままでは学校で生き、先生や校則で縛られた生活をしていて、ただ”一時の笑顔を疲れも知らず走り回って”いたけれども、

「おや、大人として生きるというのもいいものじゃなさそうだぞ」

と気づき始めたということか。

そんなことを考え始めると、”なんのために生きているのかわからなくなる”。

 そんな自分を、”この街”は進んで受け入れてくれそうにない。だった、大人たちの様子をみていると決して楽しそうじゃないから。

彼らの憂鬱とは、学校に縛られた今から解放されても後に待ち受ける社会に対する不安ということだ。

 

 

 

「17歳の地図」② 尾崎豊はただの悪ガキ?

「17歳の地図」は1983年に発売されたアルバム「17歳の地図」に収録されている。これが尾崎豊のファーストアルバムだ。

このファーストアルバムには彼の有名どころの曲がたくさん入っている。ちなみに彼はこのとき18歳だったのだから、ジーニアスぶりに驚く。

1983年は、刑法犯の少年犯罪が最も多かった。また、学校の暴力事件もこの頃がピークだったらしい。

つまり、不良全盛期。

くわえタバコ、街角で自分を売る少女、そんなのは今どきあまりみかけないから(たぶん)時代を感じる。

この曲の歌詞をみていると、客観性を感じる。となると、悪ぶった行動もファッションだったのだ。

ファッションとしての不良文化。人間の行動なんて流行り廃りにすぎない。

尾崎豊は客観性をもっていた。そして、客観から感じる自分たちのおかしさ、たまにセンチメンタルな気分になる十代の心情を表現する力をもっていた。だからメジャーで売り出される曲として成立している。

尾崎は仮面を被った不良少年だ。繊細で知的な内面をもっていながら、世の中に振り回されていたのだ。

 

「17歳の地図」① 尾崎豊はただの悪ガキ?

中学の頃はわからなかった。

でも高校生になると、すごさに打ち震えた。

 17歳の地図の歌詞は、尾崎豊の曲の中では大衆に伝わりやすい方だと思う。

だけど、今まで僕の経験上、同級生はじめ若い人の間でこの曲を知っている人はほとんどいなかった。

前半は、「15の夜」みたいな悪ぶった歌かと思いきや、後半にいくにつれてセンチメンタルな雰囲気になっていく。

尾崎豊が「ただの悪ガキじゃないんだぜ」、といっているよう。

そこがたまらなくかっこいいと感じた。

この曲をいろんな人に知ってもらいたい。だから僕はよくカラオケで歌う。

 

十七歳の地図

 

 

僕は僕であることから逃れることは出来ない (無聊)

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今の苦しみから逃れる事はできない。

自分ではない人間になることは出来ない。

自分の現状を受け入れる事しか選択肢がない。

生きるか死ぬか、は選択肢があるからまだマシだ。

僕は僕であることから逃れることは出来ない。

ハイデガーも同じようなことを言っていた気がする。

すべてはゼロイチになる

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人が撮る写真の枚数は指数関数的に伸びている。

おそらくiphoneの登場によって加速度的に伸びているだろう。

写真は整理されたデータといっても、エントロピーが増えていることには違いない。

動画に比べれば静止画はまだマシだ。

聞くところによるとyoutubeでは毎分400時間分の動画がアップされているそう。

そのうち地球はゼロとイチで埋め尽くされてしまうんじゃないかと心配になってくる。

といっても、僕もそれに加担している一人である。

全宇宙のアナログのデータ量というのは計算できるものなのだろうか。

 

嘘と資本主義

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 嘘をつくのは悪いことか、良いことか、

その判断を行うのは難しい。

問題を少し変えて、ひとついえることがある。  

 

嘘を付いて生きるのはストレスだということ。  

 

嘘をつけば、そのことを自分で気にする。

ばれないように行動しなくてはいけないから。

頭に入れておかなければいけないことが増えていく。

嘘が良くないと言われるのは、嘘は自分にとってプラスにはならない、という先人の知恵でもある。

 

ビジネスでは嘘はつきものだ。

「来年度は売上二倍にします」

「このプロジェクトに投資すればリターンは数億ですよ」

「昨年度比30%減のコストダウン達成しました」

「そのお洋服お似合いですよ」

嘘は欲望を刺激させ、人を消費や投資に向かわせる。

消費と投資がなければ資本主義は存在しない。

嘘はビジネス社会における着火剤のようなもの。

現代社会が生きづらくストレスフルな理由のひとつは、

嘘をつくことを賛美され必要とされるところにある。

 

固陋 narrow-minded

たまに思うことは、

人のアイデアを素直に受け入れられない人がいるんだな

ということ。

 

本を読んだり、講義を聞いたりしたあとに、

うさんくさい、めんどくさい

と言って著者や話者の言ったアイデアを否定する。

 

プライドがそうさせるのか、変化を拒む気持ちがそうさせるのか、

僕にはよくわかっていないけれど、

人のアイデアに対してまず否定から入って、受け入れないというのは、

もったいないなと思う。

もちろん、他人の言っていることを鵜呑みにするのはよくない。

他人のアイデアに視点の欠けている部分はもちろんあるだろう。

だけど、頭から、自分の思考や行動に一切介入させない、寄せ付けないという

姿勢はよくない。

そういう人は、周りの環境が変わっていったときに、対応できない。

自分で自分の首を締めているようなものじゃないだろうか。

 

 

生きることは日々を告白することである

尾崎豊の言葉。

日々を告白するってどういうことだろう。

彼は毎日ブログを書いていたとか。

ブログなんてその時代にはなかったよ。

告白とは、好きな彼女に告白するってこと?

主語が日々になっているので愛の告白とは違う。

教会でする懺悔のことだろうか。

尾崎豊は毎日、自分の悪い行いを悔いていたということか?

彼は完璧主義者だったのかもしれない。

理想とは違う自分に不甲斐なさを日々感じていたのかもしれない。

もしくは、わかっちゃいるけどやめられない、欲望に対するものか。

太宰治も似たようなことを書いていた気がする。

生きることを懺悔の日々と言った尾崎豊は、

幸せをどのように見出したらよかったのだろう。

 

放熱への証

人は自分の見たいように現実を見る

 

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知人がそっけない態度をとった。

なにかしたかな?

一ヶ月前、馬鹿だなと言ったからかな?

LINEで既読スルーしたからかな?

僕が知人の行きたかった北海道に言ったことが

共通の知人を通してバレたのかな。

ああ、やはり知人は

北海道に行きたいわー

って嫌味っぽく言ってる

やっぱりそうなんだ。。。

 

人は自分が想像したとおりになるように現実の辻褄を合わせる。

特に、心配事は、タネが見えだすとどうしてか増幅させようとする。

人間はネガティブな想定をするようにできているんだろうか。

はっと、気づくことができれば、

なんだ全然関係なかったじゃん、てなる。

はっと、なれるうちは健常だ。

 

春秋に富む

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冬の終わりにも独特の空気がある。

暖かさに向けて少しの楽しみと、少しのさみしさ。

暖かいとこんなに体も気分も軽やかになるのかと驚く。

そういえば卒業の時期はこんな空気だったなと、情景がうかんで懐かしい気分になる。

 

今日、上司にこんななことを言われた。

「お前はあと三十年も働くのか。考えただけで気持ち悪くなるだろう」

なぜわざわざモチベーションをさげるようなことを言うのだろう。

僕はこういう年のとり方をしないために生きていく。

【世界はどうなっているのか】2−5 量子力学

僕らの世界がどうなっているのか知るためには、宇宙スケールの法則を調べるだけでは足りない。

光の速度の世界では、僕らの感覚の世界とはかなりちがってみえることはわかった。同じように、極小の世界をみてみると、常識とははなれたとんでもない世界が広がっていたのだ。

 

二重スリット実験。

初めてこの実験の話を聞いたとき、背筋がゾッとするような感覚になったのを覚えている。知ってはいけないことを知ってしまったような恐ろしさを感じた。

様々なところで語られているので、ここでは簡単に二重スリット実験について説明する。

2つのスリットの空いた板の向こうにスクリーンがおいてある。そのスリットに向かって電子銃で電子を投げつけてスリットを通してスクリーンに当てる。

 

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図1 二重スリット実験(二重スリット実験 - Wikipedia)

 

電子一個をなげてみる。

するとスクリーンには電子一個が検出された。

ということは電子は粒子なのだろう。

 

電子を一個ずつ大量になげつけてみる。

想定通り、スクリーンには電子が次々と検出される。

いや、まて。よくみるとスクリーンに検出された電子は模様になっている!

 

その模様は干渉縞と呼ばれるものだった。この干渉縞というのは、波が2つのスリットを通り抜けたときに重なり合ってでてくる模様だ。水面に2つの石を落としたときの波をイメージするといい。

波!?

一個の電子がどちらかのスリットを通っていったはずなのに、なぜ波がスリットをぬけたときの干渉縞が現れるのだ!?

 

ちなみに、2つのスリットのうちどちらのスリットを通ったのか観測できるようにしてしまうと、干渉縞はあらわれなくなる。

 

この実験には種明かしはない。

詳細は省かせもらうが、この実験からわかったことは、

①電子は粒子でもあり波でもある。

②一つの電子は2つのスリット両方を同時に通りぬけたように干渉をおこす。

ということ。

 

この実験では電子をあつかったが、他のとても小さい粒子や光でも同様の結果を得られる。このような粒子を量子とよぶ。

量子のようなとても小さい世界では、物質は粒子でもあり波でもあるのだ。

 

結果②が示すのは、粒子は観測するまでは確率のように存在しているということ。

スクリーンにぶつかったときのように観測したときは粒子としてどこかに現れるが、観測されていないときは、空間に確率の波として存在している。

 

その確率の波を求めるときにつかうのがシュレーディンガー方程式だ。

ニュートン運動方程式が物体の位置や速さを決定するように、量子の世界ではシュレーディンガー方程式が量子の位置や運動を決定する。しかし、シュレーディンガー方程式の解が示すのは波動関数という確率だ。

 

量子力学では不確定性原理という基本原理がある。

不確定性原理は、位置と運動量は同時に決定することはできない。というものだ。

これは、先に述べた量子の粒子と波動の二重性から数学的に導かれる。

 

不確定性原理だけ聞くと、「量子の位置と運動量はある時点でたしかに決まっているが、人間はそれを観測することはできないということか」と思う。

しかし、シュレーディンガー方程式は、「量子の位置と運動量はほんとうに決まっておらず、観測した瞬間に決定する」ということを示している。

この事実は、ぼくたちの世界観にものすごい影響を与える。

 

僕たちのからだも、建物も、どんどん細かく見ていけば、小さな粒子(量子)でできていることが科学的に示されている。ということは、量子の位置や運動量が確率のように表されるというのなら、僕たちのからだや建物も、確率で表現されるような存在だといえてしまうということだ。

このような考えで、シュレーディンガーの猫という思考実験や、多世界解釈などの解釈問題たちが発生していった。

アインシュタインは、「神はサイコロをふらない」といって世界の確率解釈を否定したことで有名だ。

量子力学から導かれる、世界はどうなっているのか、という解釈は、未だに議論される。人間にわかっているのは、シュレーディンガー方程式は、波動関数という、世界の現象を極めて正確に表す解を導き出すということ。波動関数はどんな世界を表しているのか、と考えることは哲学の領域に入る。本当に世界はなにもかも決定されていないのか、多世界が存在しているのか、そんなことは科学で実際に確かめることができないからだ。

そうはいっても、量子力学の有用性が長い間疑われないということは、波動関数は世界を正しく表しているということだろう。つまり、この世界は人間の常識で考えるよりはるかに奇妙で謎にみちているということだ。

 

参考文献

単位が取れる量子力学ノート (KS単位が取れるシリーズ)

哲学的な何か、あと科学とか

二重スリット実験 - Wikipedia

【世界はどうなっているのか】2−4 時空

移動すると時間・長さ・重さが変わるんだって!アンビリバボー!

 

特殊相対性理論は僕たちの常識からするとおとぎ話のようなことが実際におこっていると言って世界を驚かせた。

 

アインシュタインは飽き足らず、一般相対性理論という古典物理の金字塔を打ち立てた。

 

一般相対性理論をざっくり一言で言うと、

質量は、空間を歪めるよ!光も歪んだ空間に沿ってまがるよ!

という感じだ。

 

ニュートン力学では、万有引力の法則に2つの物体の質量を代入する。光のような質量のないものは引力が働かないと考えられていた。

 

アインシュタインは加速度のある系で光のふるまいを考えるために、加速度のある状態と重力のある状態は同じである(等価原理)ということを前提に考えた。

 

等価原理にしたがうと、落下するエレベーターにはいってきた光の道筋を考えたときに、光は重力加速度に従って落下するという結論がでてくる。

 

質量のない光が重力で落下するなんておかしいじゃないか!万有引力の式にあてはまらないぞ!

 

光は重力の「力」が働いて落下するわけじゃなかった。

 

重力は、電気力線のように、空間を歪めている。光は歪んだ空間に従って進んでいるだけなのだ。

光が曲がって進む、ということは、場所によって光の進む距離が違うことになる。光の速度は秒速30万キロメートルで一定なので、時間がゆっくり進む場所があることになるのだ。

 

世界に関する驚きの事実が明らかになった。

 

空間と時間は質量の作り出す重力(重力場)によって変化する。

 

僕らの生活のスケールでは長さも時間を変化するようにみえないが、宇宙のスケールでみると、たしかに、長さと時間は変化しているのだ。

3次元座標に変化する時間軸をいれた4次元世界を時空と呼ぶ。

 

光に近い速さで動く素粒子からみると、時間は伸びまくり、進行方向の空間は縮みまくっている。

太陽のような大きな星の近くでは、直線が曲がり時間はゆっくり進んでいる。

 

世界は時空だったのだ。

 

<参考文献>

まんがアトム博士の続相対性理論

ファインマン物理学〈1〉力学

EMANの物理学・相対性理論・結論から始めよう

http://eman-physics.net/relativity/from_conc.html