地図とコンパス

人はときに美しいと思える瞬間に出会うこともあります。人生の地図とコンパスをつくっていきましょう。

「人工知能のジレンマ」について考えたこと /ニッポンのジレンマ元旦スペシャル競争と共生のジレンマ

正直、この会に集まった論客の半分以上は人工知能についてほとんど知らないし興味もないようにみえた。

話はそれるし、この手の新しいテクノロジーに関する話題につきものの管理と倫理の問題に収束してしまうし、煮え切らない議論だった。

 

人工知能、いわゆる「強いAI」への注目が集まってきたのは、グーグルがディープラーニングの開発に投資しはじめたからだ。

ディープラーニングによって、これまでコンピューターには真似できない人間の特殊能力だと捉えられてきた「パターン認識」が、コンピューターでもできるようになる可能性が開けたのだ。

人工知能業界(?)の強烈なブレイクスルーだ。巷では「これから人工知能の時代が始まる」なんてあちらこちらでいわれている状況だ。

ドイツではAIとITを駆使して「考える工場」をつくるインダストリー4.0なんていう一大プロジェクトを進めている。

 

以上のような背景を踏まえた上で、ニッポンのジレンマでは情報革命の最期の切り札であるAIの開発に関する現状と、日本のIT業界、またドイツの例から日本のモノづくり業界は今後どのように変化していく必要があるか、ということついての議論がみたかった。

ロボット大国ニッポンを目指せばいいとか管理の問題とかずっと昔からなされていたようなありきたりで埋め合わせの話ではなく、ワクワクするような未来の話をして欲しかった。

そのような話は文系の学者が得意とするところではないだろう。

だからその意味で、理系人間しいては製造業に従事しているパワフルな技術者がこのような番組にもっと出てきて、モノづくりの面白さを話してくれることを僕は期待しているのだ。

【映画の紹介】罪とは何か? /セブン(1995年公開)

ブラッド・ピット出演作の中でもおすすめされることの多い映画。僕も前からずっと観たいと思っていた。


感想。まず、すごく面白い映画であることは確かだ。

でも面白いだけで名作であるとは限らない。この映画は罪について新たな気付きを与えてくれた。

これから先も生きている中でたびたび振り返り、人間の不思議について考えることになるだろう。だからこの映画は名作だ。

だが問題はもっと普通にある人々の罪だ

罪とはなんだろう。
法律で決められていること?法律上の犯罪を犯していなければ、何の罪もないといえるのか?法律で定められていれば、それが真の罪なのだろうか?

映画のテーマになっている7つの大罪、きっと誰もが犯したことがあるのではないだろうか。

どこかの宗教では視姦も罪だということを聞いた。そんなことを言ったら、僕は何度罪を犯していることだろう……。
つまるところ、僕らは刑務所に入ることも裁かれることもなく、普通に生きているようにみえても、いつかどこかの国で罪だとされきたことを常に犯しながら生きているわけだ。

日常の罪を意識することなく生きている僕ら。法律を破った者になら何を言ってもいいと言わんばかりに糾弾する僕ら。

どこかの誰かが見たら、とても奇妙な社会に映るかもしれない。

もっと抽象度を上げてみると、なぜ罪などどいう概念があるのか、人はなぜ罪悪感を感じるのかといった疑問を抱く。

ともかくこの映画は、ただ面白いだけじゃなく多くの気付き(教訓)を与えてくれるのだ。

【雑感】宗教のジレンマについて考えたこと ニッポンのジレンマ 元旦スペシャル”競争”と”共生”のジレンマ 

ISテロの原因を承認の供給不足と経済格差にみる議論は面白かった。IS・オウム・連赤事件の原因を承認の供給不足にみることはたしかに的を射ていると思う。同様にISテロを格差問題とみることもできるだろう。しかし、僕は宗教がテロを起こす要因はもっと人間の奥深い側面にあるのではないかと思ってしまう。

オウムが無差別テロを起こした理由を考えるとき、文藝春秋の2014年2月号に載っていた井上死刑囚の手記を思い出す。詳しい文章は覚えていない。簡単に言うと、彼ら(オウム)がサリン事件のようなテロを起こした理由は、

特別な能力を有した人間が、その能力をもってして多少の犠牲を払ってでも恵まれない人たちに施しを与えるため

だったということが書いてあった。

井上死刑囚を含め多くの幹部らは、自分達の行動が社会をより良い方向に進めていくと信じていた。ナポレオン思想と言うのだろうか、理想の社会をつくるためには大衆の犠牲は仕方がないと考えていたわけだ。

彼らが入信したきっかけには承認の供給不足があっただろう。格差からくる劣等感がプライドを助長させたともとれるだろう。しかし、幸せな社会を目指し、カリスマに教化され危険なナポレオン思想に染めてしまう宗教の問題を承認の供給不足や経済格差だけにみることは浅はかなのではないかと思った。人間の行動に関してはまだまだ科学的に解明されていないことが多い。宗教がテロひいては戦争を引き起こす原因については、経済や政治から離れて精神に深く入り込んで考えることが必要だ。

【雑感】経済のジレンマについて考えたこと ニッポンのジレンマ 元旦スペシャル”競争”と”共生”のジレンマ

この番組の大テーマは、“競争”と“共生”。

番組で議題になっていたテーマに関して、自分の未熟な頭で思ったことを適当に書いてみる。

 

公平

何が公平か公平でないかという基準は、人間が決める。宇宙のスケールから見れば、人はみな公平といえるだろう。人間はみな地球の物質から生まれた生命体に過ぎないから。資本主義社会の中でみれば、人間は公平ではないだろう。社会保障で何をしようが公平になることもないだろう。公平になるには、ホリエモンが言っていたように精神的な刷り込みが必要になっちゃうような気がする。

 

資本主義

資本主義の政治的な目的は『自由』で、経済のシステムを見れば『資本の増殖』が目的だといえる。

資本主義は競争社会の極みだという前提で話されているが、本当に競争しているのは資本家だけだろう。多くの一般人、つまり労働者は資本主義システムの中で競争しているとはいえないのではないか。産業革命がいまの資本主義が生まれたきっかけだとすれば、私有財産をもった奴隷が労働者だと言える。多くの労働者にとって、競争とは日々の不安もしくは貧困との闘いではないだろうか。

 

自由

「安定があったうえで自由があり、先には理想がなくてはいけない」

自由とはなんだろう。人間はそもそも自由なはずなのに、人間同士で互いを縛りあっているようにみえる。

 

個人的に大きく肯いたのは、ベーシックインカムに関する議論で三浦氏が、「本当に分配すべきは教育なんです」と言っていた点。お金をばらまいても、使い方を知らなければその人のためにならない。『7つの習慣』に書いてあった気がするが、金の卵をあげるよりも、金の卵を産むガチョウをあげたほうがその人のためになる。ここでガチョウは知識や知恵、つまり教育といえる。古市さんがうまくまとめたように、再配分ではなく事前配分ができれば、幸せな人は増えると思う。

 

【雑感】ニッポンのジレンマ 元旦スペシャル”競争”と”共生”のジレンマ 

 5年前の第一回の放送から毎年正月にこの番組を見ることが恒例になっている。最初にこの番組を観た時、僕は大学1年生だった。第一回は、猪子さん、安藤さんや駒崎さんなどが出ていて、今思うとそうそうたるメンバーだったなと思う。当時、自分とそう歳の離れていない人達がはっきりとした物言いをしているのをみて刺激を受けるとともに、少年のように憧れを抱いた。自分はあと数年でこの人達のようになれるだろうか、誰かに自分の意見を求められる人物になれるだろうか、この場に出ている人達のようにはっきりした立場にいる存在感のある人間になりたい、と将来への期待を抱いた。

今の僕はそのなりたいと思っていた人物になれているだろうか。正直、5年前からあまり変わっていないようにみえる。人を引き付けるような背景のある立場にいるわけでもないし、はっきりとした意見をもっているわけでもない。今年も正月を迎えこの番組を観て改めて刺激を受けた。

 

この番組の出演者はいつも理系に対して文系の学者が多い。毎回、IT業界を代表とする理系畑の人達と学者達との議論が噛み合っていない印象をうける。学者は日々論文や学会を通して論理的思考力が鍛えられているだけあって言葉が的確だし批判に耐えられるだけの論拠をもって発言している。文系の学者の仕事は過去の出来事について再定義し、理論を構築するというのが日々の仕事になっているようなわけで、このような討論番組でも未来像を描くというより言葉の定義を言い争っていることが多いようにみえる。一方、理系の代表であるIT業界の人達の発言は、夢物語であってもテクノロジーの進化から期待される将来の姿を語る。学者はジョークでしか夢物語を語ることはできない。論拠のない推測を安易に行うと職を失う可能性だってある。だからIT業界の人達と学者の議論は噛み合わない。個人的には、理系の人の話す夢物語を聞くほうが希望や好奇心を満たされるので好きだ。理系の技術者にもっと出演してもらうことを期待している。

www.nhk.or.jp

作家の書く文章 / 朝日新聞寄稿(2016.1.8) 中村文則【雑感】

 これは作家の文章だと思った。ロジック、主張の説得力などは必要ない。この文章には人の心に入り、人を動かす力がある。学者が書くような論理の正確さだけを追い求めて読みづらくなった文章を書く必要はないのだ。周囲に迎合せず、曇りのない眼でみて感じたことを書けばいい。作家は確立されたシステムに風穴を開ける存在なのだ。

眠るという創造 朝日新聞社説(2015.12.31)【雑感】

「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」

ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王が発する上記の言葉は、赤の女王仮説として生物学でも有名だ。この言葉が表すように私たちは、前進するためには活動し続けなくてはいけないと考えるフシがあるように思う。

僕自身、幸せになるためには毎日を活動的に過ごしていくことが必要であると考えていた。楽しいことや夢を求めて活発に動き回ることが正しいことであって、停滞することは悪いことだと考える傾向があった。

 

大晦日の朝日新聞の社説に、そんな価値観を変えてくれるような面白いことが書いてあった。この日の社説は文学的で天声人語のような雰囲気があった。

世界はどうやってできたか。アメリカ先住民のアコマヴィには、こんな神話があるという。

雲が固まってコヨーテになり、霧が凝縮してギンギツネとなる。ギンギツネは熱心に仕事をして、陸地をつくり、木や岩をつくる。コヨーテはその間、ただ眠っているだけ。コヨーテは眠ることでギンギツネの創造に協力しているのだ――。(河合隼雄「神話の心理学」)

コヨーテはなぜ、眠っているのに創造に協力しているのだろうか。陸を作り、木や岩を作ることが必ずしも創造に貢献しないからだろうか。地球が昼と夜とで半々にわかれているために、活動と休息の両面から世界を想像する必要があるからだろうか。

神話の目的がなんであれ、僕に感銘を与えるのは、世界を創造するものは活動的なギンギツネだけではなく眠り続けるコヨーテも含まれるということが、ある文化では当然とみなされているということだ。活動し続けることが前進することだという僕の価値観は固定化されたマインドだということに気付かされる。

グローバル資本主義社会で競争に揉まれているうちに、休息の重要性を僕たちは忘れがちになるのかもしれない。

 

この日の社説では、鶴見俊輔さんの詩も引用している。

深くねむるために 世界は あり/ねむりの深さが 世界の意味だ(「かたつむり」) 

手段が目的化し、あくせく働くことそのものが自らの目的になってしまいがちな現代社会で、眠ることに世界の意味を見出すことのできる人はどれだけいるだろう。

 

逆説的な主張に僕は生き方を考えなおされた。創造するとは、何らかの行動を起こすことだと考えてしまうが、何の行動も起こさないこともまた創造なのだ。活動し何かを残すことが、世界の意味だと捉えるかもしれないが、限りなく個人的な営みである深い眠りもまた、世界の意味であるのだ。

停滞または後退とみなされがちな休息をもっと大事にしていきたい。

【音楽の紹介】ロックンロールの体現  シスターマン / 毛皮のマリーズ

僕の大好きなバンドである毛皮のマリーズの曲。

この曲の2007年埼玉VJ-3でのライブ映像がYoutubeに上がっている。大学時代、この素晴らしくかっこいい動画をみてしびれまくった。ロックの素晴らしさを体現したような曲だと思った。

ロックという音楽ジャンルには様々な定義があるだろう。バンドをしている人、評論家、音楽好きな個人、一人ひとりがロックに対する多様なイメージをもっている。ロックという言葉は、形容詞のような使われ方もする。まったく音楽と関係ないシーン、例えば、政治的な外交交渉の場面から街角での人と人との小さな小競り合いといった場面に至るまで、ロックのイメージを表しているのなら「これはロックだ」と形容される。

毛皮のマリーズのシスターマンは、演奏形態・音楽理論といったものがロックに当てはまるかどうかといったことに関わらず、「これはロックだ!」と叫びたくなってしまう曲なのだ。

まばらな観客、ひたすらにナルシシズムに浸っているようなボーカル・ギタリスト、フォトジェニックなバンド、そしてシスターマンという壮大なブルース、そういった要素が相まって素晴らしい空間を作り上げている。

噂によると、志磨さんは18歳の時にこの曲を書いたらしい。たしかに、十代の青年が抱くような、反体制的かつ弱者への優しさに溢れた歌詞だ。「後ろ指さされ罵られる」彼/彼女に向かって、志磨さんは「歴史も神話も嘘さ」と言い励ます。

街の暗がりの小さくて人もまばらなライブハウスのステージで、歴史も神話も否定してしまう毛皮のマリーズのシスターマンはまさしく”ロック”だと僕は思う。

 

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【雑感】未来を描く 2015年度政府予算案

今年も政府予算案が発表された。僕たちはテレビ、新聞、ネットでその情報にふれ、数十兆のお金の割り振られ方を知る。そして、今年も40%近い額を国債で賄われていることを知る。

世間のみんなは予算案をみていろいろレビューするだろう。控えめに言わなくとも僕には予算の是非や裏の真相を論じる力はない。それでも、ニュースで国家予算の報道が毎回流れるたびに、僕はなんだか違和感を感じていたので書いてみる。

政府は、資本主義社会の”利益がでなければ収入はない”システムに縛られることなく、首領の意思で社会に必要な予算を決めることができる。そのため、政府予算は人間の意思で自由に社会をつくるための唯一にして最大の手段であるといえるだろう。

それなのに、棒グラフまたは円グラフで示される予算案をみると、現場をみない閣僚がお金だけで国の課題を解決しようとしているようにみえるし、高い国債発行比率は民主主義の声をひろいすぎて膨らんだ会計の叫びにみえる。本来、自由で美しく、私たちの国の希望を物語るはずの予算案は、無機質でネガティブな印象を僕に与えるのだ。

そんな印象をもってしまうのは、僕が各省庁の活動や政策に無知であることに大きな原因があるだろう。でも、もっと美しく未来への希望をわかせてくれるような予算案の提示をみてみたいと感じるのは僕だけだろうか。

 

【音楽の紹介】I LOVE YOU / 尾崎豊

 

中学生の頃、母親の車のカセットテープから流れてきた尾崎豊の歌う「I LOVE YOU」を聴いてその歌声に魅了された。当時、尾崎豊といえば名前を聞いたことはあったが、どんな声でどんな歌を歌っているか知らなかった。野太い声で激しいロックを歌っていると勝手にイメージしていただけに、「I LOVE YOU」の甘い歌声に驚いた。自分の通う地元の中学校では決して出会うことはないであろう、洗練された格好いい美青年の先輩が歌っているようで、強い憧れを抱いた。

個人的にこの曲は91年の横浜アリーナのライブ映像の印象が強い。僕が中学や高校の頃、音楽番組のラブソング特集で必ず1位か2位にランクインするこの曲は、暗い会場で歌う尾崎の横顔をアップにした横浜アリーナのライブ映像でよく紹介されていたからだ。僕を含めた現代の若者にとって、産まれる前に死んだ尾崎豊は謎の多い存在であり、暗い中で歌う尾崎の横顔がそのミステリアスなイメージを象徴していた気がする。

今でもこの曲の歌詞に出てくるカップルの情景は僕に恋愛のモチベーションを教えてくれる。恋愛の意味や価値について迷った時この曲を聴くと、限られた空間の中で好きな人に身が震える程の愛しさを感じる瞬間を求めて人は恋するのだと気付く。

あれから10年経った。僕はどれくらいあの頃の尾崎に近づいただろう。

 

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【雑文】戦いの詞

ひとつひとつていねいに壊していった

すみずみまで協力しあい壊していった

真っ白な塔の上から怒声が聞こえる

顔を真っ赤にさせて

幸せを壊すなと叫んでいる

 

真実のない世界に造られた正解を壊したら

真実が残る

缶詰に詰められたビー玉たちは

自分の価値を知る

 

暇つぶしで作られた世界で

僕らはたくさんの反吐を吐き

身体を砕かれ

苦しんできた

 

システムを作り変えろ

自分が正解になるように

ひとつひとつていねいに

すみずみまで協力しあって

 

【雑感】今後10年間

今日の出来事。

25歳になって一週間が経った。考えると10年前は中学生だったのかと、時の流れの早さを思い過去10年間で経験したことを思い返した。そして、今後の10年間のことを考えた時最初に浮かんだのは、「自分は今後どれだけつらいことを経験するのだろう」ということだった。どれだけ楽しい時間を過ごせるだろうではなく、どれだけつらいこと経験するだろうと思ってしまう自分に衝撃を覚えた。僕は自分はまだまだ受け身だなと思った。

つらいという感情は、受け身な自分が外部環境の変化に適応できずにいるときに感じる。オーナーシップのある生き方をしている人にとって、つらいことは夢に向かう途中に現れる壁だ。そのため、オーナーシップのある生き方をしている人にとってはつらいことは楽しい時間と同じなのだ。

僕はまだまだオーナーシップのある生き方をできていないと実感した。今後10年間、どれだけ楽しい時間を過ごせるか考えてみよう。

 

【雑感】常識にとらわれずに生きる

仕事で成功し多くの人から憧れと尊敬を集めている人は世間一般の常識から外れた道を歩いてきた人が多いと言われる。

なぜだろう。

おそらく人はみな、自分が輝く道を知っている。いつだって自分が本当にやりたいことって頭の片隅にあるはずだ。自分が納得したやり方で歩いていくことができたなら、きっと目的地(夢)に辿りつくことは簡単なことなのだろう。だけど、決断をするときは大抵常識が枠を作ってしまう。自分が正しいと考えていても、他人から否定されると歩けなくなってしまう。常識が自分にとっても一番正しい道を示してくれると考えているから。だから自分の目的地は遠ざかってしまい、人並みの歩き方になってしまう。

常識的な道をとっていると、失敗していることがわからないし、失敗を自分以外のせいにできる。自分が正しいとおもって起こした行動なら、失敗したとしても経験値というコップを満たしていくことができる。オーナーシップのある生き方というのは、他人や常識にとらわれずに生きることができるということだろう。

成功者が世間一般の常識から外れた行動をしてきたというのは当然なのだ。むしろ、他人や社会から自分の行動を否定されることなく成功するのは不可能といえる。

自分がやりたいと思うのならやってみるがいい。生きている限り何をやったっていいのだから。

 

蜂蜜パイ―神の子どもたちはみな踊る / 村上春樹【本の紹介】

これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光のなかで愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を」*1

村上春樹にしては珍しく、まともな世界のまとも(?)なラブストーリーを描いた短編。村上春樹らしい設定だけど(例:主人公が努力せずに友人や女性に恵まれている・都合よく環境が好転するなど)、意味深で象徴的な台詞や展開が出てこないためすんなり理解しやすい。最後はわかりやすいハッピーエンドで終わる。

この短編を読んだ大学生の頃はすごく共感できたし、自分は村上春樹と似たタイプの人間なんだと思った。本当は自分にも同じ権利があるのに、何事も受け身な自分は思い通りに事を進められず、積極性のある他人になんでも先に持っていかれてしまう。そうしているうちに自己卑下が進み人生で起こることすべてに消極的になる。高校や大学時代の自分がそうだった。おそらく村上春樹も同じ経験を結構長期間にわたって味わってきたことがあるのだろう。でないとこんな小説を書けないし書きたいと思わない。僕は結末に出てくる冒頭で引用した言葉で夢を見て希望をもらい、良い小説だと感じた。

しかし、最近になって読み返すとこの小説はある意味とてもキモチワルイ物語だと思うようになった。逆に今でもこの小説を“良い”と感じるのなら僕は大学生時代から一歩も前に進んでいないことを意味する。主人公は物事を好転させるために何も努力していないし、ハッピーエンドの先にある問題(沙羅を含めた家庭)について何も考えない。本当は自分と彼女は両想いだったのに……と悲観しながら生きることは、すごくキモチワルイことだ。だって、小夜子が自分を好き(だった)かどうか自分は確かめもしていないし、自分の気持ちを伝えていもいない。ありもしない妄想をして一生悲観し続けているのと同じことなのだ。

この小説への共感が許されるのは、前途にまだ希望をもつことができるモラトリアムの期間だけだ。その期間なら、この物語に共感し涙を流すことだってできる。しかし、人生の行き先の狭まった者にとっては、主人公の自己卑下と悲観がナルシシズムからきていることがわかりキモチワルさを感じてしまう。

といっても、この小説がなぜ今でも僕の心を動かし最後まで読ませる力をもっているかというと、それは村上春樹の圧倒的な文章力があるからだ。キモチワルさを感じながらも共感し、結末で強烈に幸福感を感じさせてしまう春樹の才能に脱帽してしまう。

 

ところで「ディセンシー」ってなんだろう。

 

 

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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【映画の紹介】コンタクト

パーカー「君は神を信じる?」

エリー「いいえ。証拠がないもの」

パーカー「君は父親を愛していた?」

エリー「ええ、もちろん」

パーカー「証拠は?」

中学生の口喧嘩みたいな会話?

いやいや違う、単なる言葉尻をつかまえた言葉遊びの会話というわけじゃない。シンプルなこの会話にはこの映画の主張を代弁するような大事な主張が隠れている。僕は映画史を代表する名会話だと思う。この映画を思い浮かべるときは必ずこのシーンを思い出す。

現代の日本に生きる僕たちは、何かと宗教とか迷信といった非科学的なものをバカにする傾向があるけれども、よく考えたら僕たちは宗教や迷信と同じくらい非科学的なものを拠り所にして生きているんじゃないだろうか。

多くの人は、誰かを愛していたもしくは愛されていた過去を拠り所にしてつらい出来事を乗り越えた経験があると思う。しかし、誰かを愛していたもしくは愛されていた過去は、自分の記憶以外のどこに証拠があるのか。自分が忘れてしまえば、なかったことと同じになってしまう。もしかしたら、その誰かを自分は愛していなかったかもしれないし、もしくは愛されていなかったかもしれないのに。

宗教が証拠のない過去の物語であっても、人々に生きる拠り所を与えているのであれば、僕たちはバカにすることはできないだろう。誰もが証拠のないものに癒され元気づけられて生きているのだから。

 

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