【世界はどうなっているのか】2−5 量子力学
僕らの世界がどうなっているのか知るためには、宇宙スケールの法則を調べるだけでは足りない。
光の速度の世界では、僕らの感覚の世界とはかなりちがってみえることはわかった。同じように、極小の世界をみてみると、常識とははなれたとんでもない世界が広がっていたのだ。
二重スリット実験。
初めてこの実験の話を聞いたとき、背筋がゾッとするような感覚になったのを覚えている。知ってはいけないことを知ってしまったような恐ろしさを感じた。
様々なところで語られているので、ここでは簡単に二重スリット実験について説明する。
2つのスリットの空いた板の向こうにスクリーンがおいてある。そのスリットに向かって電子銃で電子を投げつけてスリットを通してスクリーンに当てる。
図1 二重スリット実験(二重スリット実験 - Wikipedia)
電子一個をなげてみる。
するとスクリーンには電子一個が検出された。
ということは電子は粒子なのだろう。
電子を一個ずつ大量になげつけてみる。
想定通り、スクリーンには電子が次々と検出される。
いや、まて。よくみるとスクリーンに検出された電子は模様になっている!
その模様は干渉縞と呼ばれるものだった。この干渉縞というのは、波が2つのスリットを通り抜けたときに重なり合ってでてくる模様だ。水面に2つの石を落としたときの波をイメージするといい。
波!?
一個の電子がどちらかのスリットを通っていったはずなのに、なぜ波がスリットをぬけたときの干渉縞が現れるのだ!?
ちなみに、2つのスリットのうちどちらのスリットを通ったのか観測できるようにしてしまうと、干渉縞はあらわれなくなる。
この実験には種明かしはない。
詳細は省かせもらうが、この実験からわかったことは、
①電子は粒子でもあり波でもある。
②一つの電子は2つのスリット両方を同時に通りぬけたように干渉をおこす。
ということ。
この実験では電子をあつかったが、他のとても小さい粒子や光でも同様の結果を得られる。このような粒子を量子とよぶ。
量子のようなとても小さい世界では、物質は粒子でもあり波でもあるのだ。
結果②が示すのは、粒子は観測するまでは確率のように存在しているということ。
スクリーンにぶつかったときのように観測したときは粒子としてどこかに現れるが、観測されていないときは、空間に確率の波として存在している。
その確率の波を求めるときにつかうのがシュレーディンガー方程式だ。
ニュートンの運動方程式が物体の位置や速さを決定するように、量子の世界ではシュレーディンガー方程式が量子の位置や運動を決定する。しかし、シュレーディンガー方程式の解が示すのは波動関数という確率だ。
不確定性原理は、位置と運動量は同時に決定することはできない。というものだ。
これは、先に述べた量子の粒子と波動の二重性から数学的に導かれる。
不確定性原理だけ聞くと、「量子の位置と運動量はある時点でたしかに決まっているが、人間はそれを観測することはできないということか」と思う。
しかし、シュレーディンガー方程式は、「量子の位置と運動量はほんとうに決まっておらず、観測した瞬間に決定する」ということを示している。
この事実は、ぼくたちの世界観にものすごい影響を与える。
僕たちのからだも、建物も、どんどん細かく見ていけば、小さな粒子(量子)でできていることが科学的に示されている。ということは、量子の位置や運動量が確率のように表されるというのなら、僕たちのからだや建物も、確率で表現されるような存在だといえてしまうということだ。
このような考えで、シュレーディンガーの猫という思考実験や、多世界解釈などの解釈問題たちが発生していった。
アインシュタインは、「神はサイコロをふらない」といって世界の確率解釈を否定したことで有名だ。
量子力学から導かれる、世界はどうなっているのか、という解釈は、未だに議論される。人間にわかっているのは、シュレーディンガー方程式は、波動関数という、世界の現象を極めて正確に表す解を導き出すということ。波動関数はどんな世界を表しているのか、と考えることは哲学の領域に入る。本当に世界はなにもかも決定されていないのか、多世界が存在しているのか、そんなことは科学で実際に確かめることができないからだ。
そうはいっても、量子力学の有用性が長い間疑われないということは、波動関数は世界を正しく表しているということだろう。つまり、この世界は人間の常識で考えるよりはるかに奇妙で謎にみちているということだ。
参考文献