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生きること。それは日々を告白していくことだろう。

清水富美加さんが出家した理由 /  社会への違和感を抱える人

最近、清水富美加さんの”出家”報道が芸能ニュースを騒がせている。

僕は清水さんに対して、バラエティ番組でみせる彼女の言動から妙に親近感を感じていたというか、自分と似た感性をもつ人なんじゃないかと感じていた。なので、今回、幸福の科学という宗教団体に”出家”するという報道を聴いて、「ああ、そういうことだったのか」と少し納得してしまったのだ。僕がなぜ彼女に親近感を感じたのか、そしてなぜ彼女が宗教に入信を決めたのか、僕には少しわかる気がしたのだ。

といっても正直、僕は清水さんの人生や性格に関する”事実”を世間の一般人程度にしか知らない。だからこの記事に書くことはあくまで僕の意見だということを留意していただきたい。ちなみに、僕は何の宗教団体にも属していない。

 

清水さんがバラエティ番組でみせる言動は、なぜ僕に妙な親近感を抱かせたのか。親近感という表現は正しくないかもしれない。「ちょっと変わった感じ」といったらいいのだろうか。表向きには芸人バリのしゃべりのうまさとノリの良さが彼女の特徴にみえる。しかし、彼女の姿勢はどこか世間から離れている。一歩ひいた目で社会を見ているようにみえた。事務所から言われてキャラをつくっていたのだろうが、彼女の心の奥にある反抗心と頭の良さを隠すことはできていないようにみえた。その反抗心と、世間から少し離れている感じが僕に「ちょっと変わった感じ」を抱かせたのだろうと思う。

 

宗教にはまる人というのは、世間からは理解されない。その隔絶は、太宰治の『人間失格』に共感する人としない人の間の隔絶に似ている。僕はなんの宗教にも入信していないが、宗教にはまる側の人間の気持ちはわかる。彼らは、社会に対して常に違和感を感じており、社会に居場所がないと感じている。彼らにとって”死”とは社会通念上において避けるべきものではなく、選択肢のひとつであり、言ってみれば毎日生きる意味をみつけだし生きることを選択している。宗教というのは彼らに生きる理由を与えてくれるものであり、社会において唯一の居場所だとかんじている。宗教団体に入信していない状態であっても、宗教というのは言ってみれば死ぬ前の最期の駆け込み寺であり、普通に社会で暮らしていても、どこか憧れを抱いている。

明確な根拠を言うことができなくて申し訳ないのだが、清水さんは宗教にはまる側の人間だと僕は感じたのだ。バラエティ番組でみせる反抗心と、世間から少し離れている感じがそう抱かせたのだろうと思う。

 

清水さんは仕事に追い詰められていた。社会人として本格的に働き始める二十歳すぎの頃というのは誰にとってもつらい時代だ。僕自身、二十代の前半はあまりの忙しさで毎日死にたいと思っていたし、これから生きていく社会への不信と恐怖に陥り、宗教に出家して生きていくしかないと思い詰めていた。芸能界の忙しさは僕には想像に容易いものではないが、彼女も同じような心境に陥ったのだろう。

彼女にとって幸福の科学はあまりに身近な存在だった。僕は働く場所を変えることで社会への不信と恐怖は、自分の精神がつくりだす一種の幻想だと気づくことができた。しかし、清水さんは気づいたときには宗教団体、芸能事務所、世間の狭間で身動きが出来ない状態となり、その幻想に気付く機会と時間がなかった。

おそらく、幸福の科学に出家しても彼女の人生の問題は解決しない。社会への違和感は人間の精神が作り出す幻想だということに早く気付かなくてはいけない。そして、誰かに生きる理由を提示されるのではなく、自分の意思で、自分の頭と身体を動かすことで、生きる理由を創っていかなければ、社会への違和感を心の底から拭うことはできないということを知らなくなてはいけない。それは宗教に入信してもしなくてもできることだ。今回の出家は、彼女にとってひとつの通過点であることを祈る。