僕らの行く道

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人生を変えた本 / 『人間失格』太宰治【本の紹介】

僕が太宰治と出会ったのは高校二年の秋だった。いまでもあの時の衝撃を忘れられない。ツタヤで手にした『人間失格』の冒頭を立ち読みした時、体中に経験したことのないなにかが入り込んでくるのを感じた。冒頭から10ページほど読んで、ふと意識が戻りあたりを見回すと、世界が変わっていた。正しく言うと、『人間失格』の冒頭を立ち読みしていた一瞬の間に、世界をみる目が変わってしまっていたのだ。

 

僕の人生に太宰治の小説が及ぼした影響は計り知れない。人間失格を読まなければ、「文学」というものの魅力を知ることはなかったかもしれない。人間失格を読まなければ、人間の心の奥底を知ることはなかったかもしれない。人間失格を読まなければ、もっと社会にうまく適合できたかもしれない。この本の影響には、良いことも悪いこともあった。でも僕は、この本に出会えてよかったと思っている。

 

人間失格』は僕だけでなく他の多くの若者にも影響を与え続けてきたようだ。文庫本の累計発行部数は600万部を超え、現在になっても発行部数を伸ばしている。2010年頃には、発売後50年を経て社会現象となるまでにヒットしたのを記憶している。

 

人間失格が、若者に影響を与えるのはなぜか。太宰治に影響を受けた若者の気持ちを、又吉さんが気持よく代弁してくれている。

又吉直樹(ピース)の名言コラム「確かにお前は大器晩成やけど!!」

「多くの読者が、僕と同じようにこれは自分の物語だと感じるらしい」

僕もご多分にもれず、葉蔵(主人公)は自分の分身じゃないかと思って読んだ。ちなみに、爆笑問題の太田さんも『晩年』を読んで、自分のことをしゃべっていると感じたという。太宰治の小説は、ある種の若者に、すさまじい共感を呼び起こす、ということだ。

 

不幸で哀れみに満ちた生き方を描いているにも関わらず、将来の開けた若者が共感してしまうのは、葉蔵の心情吐露があまりにも、ある種の人にとって馴染みのあるものだからだと思う。太宰治は、読者が「自分にしかわからないだろう」、「自分にしかわかっていなかったことだろう」と思っていた、言葉にできない感覚・違和感を、これでもかというくらいに描いている。特に、「恥の多い生涯を送ってきました」からはじまる数ページの幼少時代の追憶のエピソードは、僕にすさまじい共感を呼び起こした。「こんなことを書いていいのか」、「こんな気持ちをもっていたのは自分だけじゃなかったのか」と衝撃を受けた。

 

ある種の人にとって人間失格は予言書として映る。主人公の葉蔵に強烈に共感をする人は、当然自分の人生を葉蔵と照らし合わせる。そして、神様みたいにいい子だったと言われて廃人となる葉蔵のクライマックスを自分の人生の結末だと思ってしまう。あまりにも主人公に共感してしまうがゆえに、自分の人生も破滅に向かうのだと予言されているように感じるのだ。僕も、自分は葉蔵のような最期を迎えるのだと思った。

 

人間失格』が、高校生の僕に与えたなにかとは、一種の挫折だったといえるだろう。「自分にしかわからないだろう」、と思っていた言葉に出来ない感覚を、太宰治が既に日本を代表する文学作品として残していたという事実。自分の感じていたことは、ぜんぜん特別なことではないと知らされたことで、若い僕の根拠のない優越感を打ち砕いた。そして、自分のような感性をもつ人間が行き着く先は、人間失格の主人公「葉蔵」のような破滅なのだという予言。自分は社会に適合できない人間として生きていかなけくてはいけないと予言されるのは、あまりにもつらいことだった。『人間失格』は、若い僕に絶望を味あわせ、それから僕はときたま破滅的な行動をとるようになった。

 

 『人間失格』を読んでから僕は以前より考えに耽るようになった。高校の同級生からはネガティブになったと言って、煙たがられた。世の中で起こる物事をみては、人間の心の奥底を考えるようになってしまい、精神的につらい日々が続いた。本気で自分は社会不適合者なんだと思うようになった。

 

しかし、時間がたつにつれて、僕が高校生のころに抱いた絶望は、実際のところ取るに足らないものだと知った。歳をとるにつれ、人生は捉え方でどうにでも転ぶものだと知ったからだ。また、『人間失格』の主人公に強烈に共感してしまうのは、ひとえに太宰治の才能によるものだとだんだんわかってきたからだ。人間失格が与えた絶望は、人間失格という作品のもつ力を表していたわけだ。

 

それでも、『人間失格』は僕に大きな影響を及ぼしたのはたしかだ。『人間失格』が僕に与えた絶望は、『人間失格』という作品のもつ力を表していた。僕はその事実から、文学の奥深さを知った。また、『人間失格』のような小説が生まれるこの世界を素晴らしいと思った。そして自分も、そのような表現の輪の中に入りたいと思った。そうして僕は、文学、音楽や映画のような芸術に興味をもつようになった。『人間失格』は、僕に文学の素晴らしさを教えてくれたのだ。

 

 

人間失格を読む前の僕はもっと実務的で明るい性格の人間だった。『成り上がり』という、矢沢永吉の若き日の自伝がある。『成り上がり』は中学時代の僕にものすごく影響を与えた本だ。その本を読んだ影響から、苦しさや悔しさは努力によって解消されると考えていたし、悲しみは心の弱さからくる感情だと考えていた。頑張れば人生は今よりもっと良くなっていくし、人生を良くしていくことが何よりも大事なことなのだと思っていた。そのような考え方は、『人間失格』を読んでから覆されてしまったのだ。

 

人間失格』では、実務的で明るい性格の人間は、実はとても意地が悪い人間なのだと表現されている。ヒラメという登場人物は、世間や常識を味方につけることでとてもうまく世渡りをするし、葉蔵の兄貴たちもまた世間体を気にする実務家タイプの人間だ。世間や常識の視点からみるとヒラメや兄貴たちはまともだ。しかし葉蔵の視点から見ると、彼らはまったく理解できない存在に映る。人の気持ちを理解することができず、汚い世俗にまみれた人間にみえるのだ。「実務的で明るい性格の人間=正しい」と信じていた僕の価値観は、誤った思想として描かれていたわけだ。

 

言ってみれば、『人間失格』は人間の負の側面にもスポットライトを当てるべきだと教えてくれたのだ。苦しさや辛さ、心の弱さを頭ごなしに否定するのではなく、そのような負の側面の正当性を認める必要があると教えてくれた。人間の負の側面の存在とその価値を知り、それまでの僕の価値観を壊してくれた。

 

この本を読んでから僕の人生は変わった、と思う。読んでいない人生なんて僕には予想できないから。ただひとつ言いたいのは、この本に出会った人生を送ることができて良かったということだけだ。

 

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)