若さゆえの過ち / 立花隆の言葉から
僕が21歳頃に読んだ、立花隆の言葉を紹介する。
「そういう経験を踏まえた上で、今からはっきりと予言できることは、君たちの相当部分が、これから数年以内に、人生最大の失敗をいくつかするだろうということです」
言葉どおり捉えてしまうと怖い予言だ。若さゆえの過ちとよく言うし、若者は失敗と隣合わせの存在だというのが世間一般の通説らしい。
僕自信、数年前に大きな失敗といえる経験をした。今はその過ちで逸れた道の軌道修正をしながら生きている毎日だといっても過言ではない。
なぜ立花氏は失敗を予言するのか、なぜ若者は失敗と隣合わせの危うい存在なのだろう。
僕自信の失敗経験を踏まえて考えてみる。
若者、特に自分の一部の能力が他の人あるいはある仕事を達成するための基準よりも突出して高い場合、自分の能力を過信しやすい。若くしてそのような突出した能力をもつと、他の能力は一般の人よりも著しく低い場合だったとしても、自分は何でもやれるという”全能感”を覚えやすい。
図1は、ある挑戦に求められる能力に対して特定の能力は突出しているものの他の能力は必要条件を満たしていない様子を模式的に表している。
図1:若者と挑戦の関係
求められるレベルに対してあるひとつの能力が超えているとき、若者が自分は「やれる!」と過信して挑戦してしまうことがある(特にその能力が華やかで他人の承認を得られやすいものである場合)。その過信した状態でリスクのある挑戦をしてしまうと、他の能力が一般の人よりも著しく不足しているために、しょうもない原因で失敗してしまう結末となる。
なぜ若者が無謀な挑戦をしやすいかというと、自分の得意な能力以外の能力がいわゆる「社会常識」に達していないために、自分と社会の関係を客観的にみることができないためだ。
多くの若者は実経験が浅く、本や教科書というメディアを媒介として社会を知っているだけ。また、限定的なコミュニティの中でしか生きてきていないため自分自身について理解できているとは言いがたい。
”社会”と”自分”を知らないと客観的な判断をすることは難しいだろう。だから無謀な挑戦に手を出してしまうのだ。
立花氏は、NHKの番組でこうも語っていた。
「個人でも仕事でも、いかにほかの人間を巻き込んで自分たちのやりたい方向に全体を持っていくか。それにこの後の人生の一番大事なことはつきると思う。 人をどうやって巻き込むか。熱意と言葉の力。言葉をより活かすためには熱意をもって語ることが必要。
これからいろんなことをやるんだろうけど、大体失敗します。思った通りになりません。それを覚悟してとにかく一生懸命やることを続けてもらいたいと思います」
この立花氏の言葉は、失敗と隣合わせの若者にとって希望だ。
社会常識もなく、いびつな能力パラメータであっても、他の人を巻き込み自分に足りない部分を補うことで成功することはできると語っているわけだ。
そして、他の人を巻き込むのに必要なのはコミュニケーション力なんていう抽象的なものではなく、熱意と言葉だと語っている。
若者よ、思いを伝えるのだ。熱意の醒めないうちに。仲間を巻き込み大きな熱塊となれば、失敗を恐れることはない。