地図とコンパス

人はときに美しいと思える瞬間に出会うこともあります。人生の地図とコンパスをつくっていきましょう。

宝くじの夢⑥

一等数億円までもらえなくても二等くらいでいいや、という場合。(蓮舫じゃないよ!)

大体二等は1000万円なので、これを基準に、1000万円以上当たる確率を計算してみると、

ジャンボ宝くじ(ドリーム) 166万分の1

ロト6 87万分の1

ロト7 68万分の1

1000万円くらいでもいいやというのであれば、ロト6が確率が高い。

なお、1000万円が一等の年末ジャンボぷちは10万分の1。

こんなことを言ったら元も子もないが、確率をもとにして決めてもほぼ当たることはないということに変わりはないので、めんどくさい計算をしてどの宝くじを買おうか決めている暇があったら、他の生産的な活動をしていた方が効率はいいのかもしれない。

宝くじの夢⑤

BIGが、今回検討している中では最も1億5千万円が当たりやすいということはわかった。

しかし、その確率は478万分の1である。

この数字は、期待しても無駄だということなのだろうか。

まずはこの確率を他の事象と比較してみる。

 

調べてみたところ、全世界で飛行機事故により死亡する確率は10万回に1回らしい。

単純に比較してみると、飛行機で死ぬ確率より宝くじに当たる確率のほうがはるかか低い、ということだ。

ちなみに、雷が自分に落ちる確率は1000万分の1。

これはジャンボ宝くじの一等と同じ確率だ。

BIGと比べると雷の方が落ちる確率は低いということになる。

つまり、BIGで一等が当たる確率は、飛行機が墜落する確率より低いが、雷が落ちる確率よりは高い、ということになる。

そんなのと比較したって、イメージできるようなできないような?!

結局、期待しても無駄だから買わないほうがいい?

 

しかし、これはあくまで確率。

確率は、十分に多くの回数を行ったときに起こりうる回数を表している。

たとえば、BIGを長年、何百万回買ってきた人の場合、この確率通りになる。

また、一回ですべての数字の組み合わせを買ったときも同様。

(この場合、あたったとしても、宝くじは50%以下しか当選金額として配分されないので、買った金額より当選金額のほうが確実に低くなる。)

確率は、次に当たるかどうかを表してはいない。478万分の1が次の一枚に来るかもしれない、ということだ。

買う枚数が多く(数百万枚)なるほど、確率通りになるので、損が大きい。

もし少ない枚数で当たれば、儲けもんということだ。

まあ、つまるところ買わなければ当たることはないので、余剰のさらに余剰の資金で少しだけ買って期待してみるくらいがいいということだ。

 

宝くじの夢④

totoが一番一等の当たる確率は高い。

しかし、調べてみたところ、

・実際の一等の当選金額が思ったより低い。

・特定の試合の試合前の結果を予想するのでサッカーのチームを知っている人が有利→情報通の人たちは同じ数字を選択する可能性が高いので当選しても複数口数となり金額が下がる。

という点が気になった。

当選金額が低いのは2つ目の点が理由になっているからだろう。

当選金額が山分けされるのはロト6などの数字選択式も同じ。しかし、同じ数字を選ぶ人がいるというのも確率は低いのであまり心配しなくていいかも。

一方、ジャンボ宝くじは各ユニットで同じ数字がかぶることはないので、当選金額が減ることはない。

上記の点を踏まえると、BIGは今回検討したくじの中では、

確率が低くて

当選金額も目標の1億5千万円以上を狙いやすい

といえる。

 

宝くじの夢③

BIGの場合は14試合の結果を勝ち負け引き分けで予想するので3の14乗=4782969通り。

totoの場合は、13試合の結果なので1594323通り。

それぞれ一等は一枚で1億5千万円を超える可能性のあるのも一等のみなので確率は

  • BIG 478万2969分の1
  • toto 159万4323分の1

ちなみにBIGは14試合の結果はコンピュータでランダムに選ばれるのに対し、totoは試合前に結果を人が予想する。

宝くじの夢②

ジャンボ宝くじは、1ユニット1000万枚のうちに各当選番号が入っている。

一等の金額と本数は場合によってちがうので、仮に4月から発売予定のドリームジャンボ宝くじをもとに計算してみる。

1ユニット1000万枚で一等3億円が各ユニット1枚

二等は1億円なので除外。

一等の確率は1000万分の1で3億円となる。

 

ロト6とロト7はそれぞれ6個と7個の数字を選んでその数字の組み合わせで当選が決まる。

ロト6の場合、43個の数字から重複無しで6個の数字を選ぶ、43C6=6096454の組み合わせ。そのうちの一つが一等の約2億円となる。つまり609万6454分の1。

ロト7は同様に37C7=10295472なので、一等は1029万5472分の1で約4億円。

どちらも二等以下は1.5億円以上ではないので除外。

 

まとめると、

 

 

 

 

宝くじの夢①

いきなりだけど、毎日働かなくても生活できる金額を宝くじで当てるにはどうしたらいいかということを考えてみる。

働かなくても生活できる金額は1億5千万円とする。これは、今の仕事を60歳まで続けたときの自分の今後の収入の総額の概算をもとにしている。退職金は含めていない。実は、実際に計算すると2億を超えるが、独身で最低限生活できればよいという考えなら、これよりも少なくなるはずだという考えでだいたい1.5億円にした。ただ、宝くじがあたった際に、仕事をきっぱりと辞める決断をするとしたら、これくらいの額はほしいところだと思う。この考えで行くと、年齢が上がるにつれて必要な額はへっていく。

宝くじの当選金については非課税らしいので当選額が1.5億円というのを目標額にすれば良い。

当選金が低いものを複数回当てて目標額を目指すということも考えられるけど、計算が面倒なので一回の当選で目標額を達成することを考える。

まず、1.5億円以上の当選が見込まれる宝くじの種類は、

でとする。

※キャリーオーバー時の最高当選額は含めていない。

 

地図とコンパス

 

地図:地球の平面の一部、または全部の有様を平面上に縮めて表したもの。

コンパス:=羅針盤 

 →羅針盤:磁石が南北を指す性質を利用して進路をきめるための方角を知る器械。

(例解新国語辞典第六版)

 

地図はどこに何があるかを知る手がかりになる。(知りたいものが表記されていれば)

コンパスがなくても地図があれば行きたい場所にいけるかもしれない。ただ、なにか目印のあるものがあればの話だ。海の上や砂漠や森の中など、自分の居場所が地図上のどこにあるかを確認できるような指標を見つけるのが困難な状況にあれば、地図は役に立たない。

自分がどこにいるのかわからなくなったら、地図をみて場所を探せばいい。

地図上の自分の居場所がわからなければ、コンパスをみて手がかりとなる場所のある方角を目指すしか無い。

 

「17歳の地図」③ 17の憂鬱

”17のしゃがれたブルースを聴きながら”

なんともいかした(うがってみれば厨二病的な)科白で始まる。しゃがれたブルースというのは、タバコが原因で嗄れた、もしくは桑田佳祐ぽくかっこつけてしゃがれた声でうたっている自分の声、ということか。

”街角の俺たちの頑なな心と黒い瞳には悲しい影が”

ここで「俺」という一人称ではなく「俺たち」としている。”愚痴をこぼせばみんな同じ”ことをいうように、彼らの仲間は楽しみも寂しい影(憂鬱)も共有していたということだ。

彼らの憂鬱とは一体なんだろう。

”親の背中にひたむきさを感じ”始めた、ということは、社会で生き、自分たち子供を育ててきたという裏にはたくさんの苦労があったということを知り始めたということを意味している。

いままでは学校で生き、先生や校則で縛られた生活をしていて、ただ”一時の笑顔を疲れも知らず走り回って”いたけれども、

「おや、大人として生きるというのもいいものじゃなさそうだぞ」

と気づき始めたということか。

そんなことを考え始めると、”なんのために生きているのかわからなくなる”。

 そんな自分を、”この街”は進んで受け入れてくれそうにない。だった、大人たちの様子をみていると決して楽しそうじゃないから。

彼らの憂鬱とは、学校に縛られた今から解放されても後に待ち受ける社会に対する不安ということだ。

 

 

 

「17歳の地図」② 尾崎豊はただの悪ガキ?

「17歳の地図」は1983年に発売されたアルバム「17歳の地図」に収録されている。これが尾崎豊のファーストアルバムだ。

このファーストアルバムには彼の有名どころの曲がたくさん入っている。ちなみに彼はこのとき18歳だったのだから、ジーニアスぶりに驚く。

1983年は、刑法犯の少年犯罪が最も多かった。また、学校の暴力事件もこの頃がピークだったらしい。

つまり、不良全盛期。

くわえタバコ、街角で自分を売る少女、そんなのは今どきあまりみかけないから(たぶん)時代を感じる。

この曲の歌詞をみていると、客観性を感じる。となると、悪ぶった行動もファッションだったのだ。

ファッションとしての不良文化。人間の行動なんて流行り廃りにすぎない。

尾崎豊は客観性をもっていた。そして、客観から感じる自分たちのおかしさ、たまにセンチメンタルな気分になる十代の心情を表現する力をもっていた。だからメジャーで売り出される曲として成立している。

尾崎は仮面を被った不良少年だ。繊細で知的な内面をもっていながら、世の中に振り回されていたのだ。

 

「17歳の地図」① 尾崎豊はただの悪ガキ?

中学の頃はわからなかった。

でも高校生になると、すごさに打ち震えた。

 17歳の地図の歌詞は、尾崎豊の曲の中では大衆に伝わりやすい方だと思う。

だけど、今まで僕の経験上、同級生はじめ若い人の間でこの曲を知っている人はほとんどいなかった。

前半は、「15の夜」みたいな悪ぶった歌かと思いきや、後半にいくにつれてセンチメンタルな雰囲気になっていく。

尾崎豊が「ただの悪ガキじゃないんだぜ」、といっているよう。

そこがたまらなくかっこいいと感じた。

この曲をいろんな人に知ってもらいたい。だから僕はよくカラオケで歌う。

 

十七歳の地図

 

 

僕は僕であることから逃れることは出来ない (無聊)

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今の苦しみから逃れる事はできない。

自分ではない人間になることは出来ない。

自分の現状を受け入れる事しか選択肢がない。

生きるか死ぬか、は選択肢があるからまだマシだ。

僕は僕であることから逃れることは出来ない。

ハイデガーも同じようなことを言っていた気がする。

すべてはゼロイチになる

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人が撮る写真の枚数は指数関数的に伸びている。

おそらくiphoneの登場によって加速度的に伸びているだろう。

写真は整理されたデータといっても、エントロピーが増えていることには違いない。

動画に比べれば静止画はまだマシだ。

聞くところによるとyoutubeでは毎分400時間分の動画がアップされているそう。

そのうち地球はゼロとイチで埋め尽くされてしまうんじゃないかと心配になってくる。

といっても、僕もそれに加担している一人である。

全宇宙のアナログのデータ量というのは計算できるものなのだろうか。

 

嘘と資本主義

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 嘘をつくのは悪いことか、良いことか、

その判断を行うのは難しい。

問題を少し変えて、ひとついえることがある。  

 

嘘を付いて生きるのはストレスだということ。  

 

嘘をつけば、そのことを自分で気にする。

ばれないように行動しなくてはいけないから。

頭に入れておかなければいけないことが増えていく。

嘘が良くないと言われるのは、嘘は自分にとってプラスにはならない、という先人の知恵でもある。

 

ビジネスでは嘘はつきものだ。

「来年度は売上二倍にします」

「このプロジェクトに投資すればリターンは数億ですよ」

「昨年度比30%減のコストダウン達成しました」

「そのお洋服お似合いですよ」

嘘は欲望を刺激させ、人を消費や投資に向かわせる。

消費と投資がなければ資本主義は存在しない。

嘘はビジネス社会における着火剤のようなもの。

現代社会が生きづらくストレスフルな理由のひとつは、

嘘をつくことを賛美され必要とされるところにある。

 

固陋 narrow-minded

たまに思うことは、

人のアイデアを素直に受け入れられない人がいるんだな

ということ。

 

本を読んだり、講義を聞いたりしたあとに、

うさんくさい、めんどくさい

と言って著者や話者の言ったアイデアを否定する。

 

プライドがそうさせるのか、変化を拒む気持ちがそうさせるのか、

僕にはよくわかっていないけれど、

人のアイデアに対してまず否定から入って、受け入れないというのは、

もったいないなと思う。

もちろん、他人の言っていることを鵜呑みにするのはよくない。

他人のアイデアに視点の欠けている部分はもちろんあるだろう。

だけど、頭から、自分の思考や行動に一切介入させない、寄せ付けないという

姿勢はよくない。

そういう人は、周りの環境が変わっていったときに、対応できない。

自分で自分の首を締めているようなものじゃないだろうか。

 

 

生きることは日々を告白することである

尾崎豊の言葉。

日々を告白するってどういうことだろう。

彼は毎日ブログを書いていたとか。

ブログなんてその時代にはなかったよ。

告白とは、好きな彼女に告白するってこと?

主語が日々になっているので愛の告白とは違う。

教会でする懺悔のことだろうか。

尾崎豊は毎日、自分の悪い行いを悔いていたということか?

彼は完璧主義者だったのかもしれない。

理想とは違う自分に不甲斐なさを日々感じていたのかもしれない。

もしくは、わかっちゃいるけどやめられない、欲望に対するものか。

太宰治も似たようなことを書いていた気がする。

生きることを懺悔の日々と言った尾崎豊は、

幸せをどのように見出したらよかったのだろう。

 

放熱への証