27歳のコンパス

27クラブとの決別/17歳の地図/地図よりコンパス

今週の発見、アイデア

スティーブ・ジョブズと舛岡富士雄は似たタイプの技術者。自分で実務はせず、方向性を示すことで仕事をする人。どちらも社内では嫌われ者。クラッシャー上司ともいえるかも。

・仕事ができる人の仕事のやり方にはいろんなタイプがある。普段何をやっているかわからないが核心をついた意見を出して方向性を示す人、締め切り間際に短期集中で結果を出す人、毎日規則正しく同じペースで仕事して長期的なプロジェクトで成果を出す人etc...。

・一万年前に人類が狩猟採集生活から定住生活に移行した出来事は農業革命と呼ばれ、その影響や原因には諸説ある。

・近視の原因が、近くのものを見続ける環境で生活することへの適応の結果(近業適応)だと仮定すると、近くのものを遠くに見せる遠視メガネ(凸レンズ)をかけて生活することで近視予防になるかも。

・たまたま通りかかった道で、ストリートミュージシャンがまさしく自分の過去の人生を表現した歌を歌ってくれていたらサプライズになるだろうなあ、とテレビで同様の企画をやっていたのをみて思った。

・近年のマインドフルネスやアドラー心理学の流行、労働環境改善の動きをみると、人々が幸せを感じながら暮らすための科学的な方法論(認知行動療法?個人心理学?)が確立され人々に浸透するのも遠くない未来だろうと感じる。

・成人式において騒ぐ若者が問題だと取り沙汰されるが、小学、中学時代の同級生と20歳で久しぶりに会ってきちんとしているなんてなかなかできることじゃないと思う。特に中学時代なんてスクールカーストやらいじめやらのおどろおどろしい人間関係が渦巻いていたわけだから、久しぶりにそんな時代の同級生と会ってまともな精神状態でいられるほど人間は強くないと思う。であれば、成人式で騒ぎ立てる若者を非難するなら、学校のシステムを批判するべきではないだろうか。

【本の感想】暇と退屈の倫理学 /  退屈という疑問と戦う人の記録!

あとがきで國分功一郎さんが自分で書いているように、この本は著者である國分功一郎さんの、人生の疑問の一つに対する戦いの記録ともいえる大作だと感じた。

 

自分の人生をかけて極めてきたことを本にして表現したい、世に残したいと、人は思う。そして、実際に作者が人生をかけて追求してきたことを熱く語る本は面白い。

僕は過去にそういう本を何冊か読んできて、実際に面白いと感じてきた。たとえば、前野隆司さんの「脳はなぜ心を作ったのか」や、田中和明さんの「金属の基本がわかる事典」などなど。

 

「暇と退屈の倫理学」は、國分功一郎さんがずっと疑問を感じてきた「退屈」について、哲学者となり知識という武器をてにいれて正々堂々と考察した記録だ。加えて、哲学するという行動を読者にさらし、わかりやすく、読者自身が読みながら哲学をできるように書かれている。こんなにおもしろい読書体験をできる本はなかなかないと思う。

 

 以下自分メモ

 

人間の不幸と快楽について

・人間の不幸は、部屋でじっとしていれば起きない。でもできないのは退屈するからだ。こんな人間は惨めである(パスカル

・人は快楽を求めているのではなく、今日と昨日を区別してくれる事件(興奮)を求めている。

 

人間が退屈する理由

・ 400万年前に初期人類が出現してから1万年前のあいだまで、人類は遊動生活をしていた。しかし、氷河期が過ぎて中緯度が温帯森林環境になると、食料貯蓄が必要となり、定住生活を強いられるようになった。定住した人類は情報処理能力をもてあまし、退屈に悩まされるようになった。

 

ポストフォーディズム

・フォードは15年間同じモデルの車を売り続けた。一方ポストフォーディズム、現代の消費=生産スタイルは、いかなる製品も絶えざるモデルチェンジを強いられる。モデルチェンジが激しい場合、設備投資が難しいため、人間が生産を行う。また、どれだけ売れるかわからないのでフレキシブルな労働力が必要である。これがハケンを産んだ。

 

浪費がない資本主義社会

ボードリヤールは消費とは観念論的行為と言った。消費では、モノは記号になる。消費は記号を受け取る行為だ。

・映画「ファイトクラブ」の主人公はブランド品を買い漁る。しかし彼は消費はしていても浪費をしていない。彼は記号をうけとらされている。

・現代人は終わりなき消費のゲームを続けている。しかも自分でそのサイクルを回している。現代人は本来性なき疎外状態にある。

 

ハイデッガーの「形而上学の根本諸概念」

・退屈の第一形式:思い通りにならない時間にひきとめられている(日常の仕事の奴隷になっているため、時間が惜しい)

・退屈の第二形式:気晴らしの中であらわれる退屈

・退屈の第三形式:なんとなく退屈(広域に放置された感覚。自由であるがゆえ)

・人間は第三形式から逃れるために第一形式に逃げ込む→消費社会

・人間であるとは、第二形式を生きることである。

 

結論

・読者自身が退屈との付き合い方を切り開く必要がある。

・浪費する。つまりものをものとしてうけとる。「人間であること」

・なにかにとりさらわれること。「動物になること」

・「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構えることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる意味とは何か?という問いに対する答えをまとめてみる

 

人間の生きる意味って何?という問いは誰もが抱くでしょう。

古今東西、数多の哲学者、思想家がこの問いに答えようとしてきました。

しかし、この問いの答えは未だに議論され続けています。

 

僕も、自分に生きる意味があるのか?という疑問は幼い頃からずっと抱いてきました。

学生時代は、書物の中に答えがあるのではないかと、それなりに書物を読んできました。

若い頃は、この問いに答えなければ、この先生きていくことなんてできない!と考えるほどの危機感をもってしまっていました。青年期特有のはりつめた不安です。

ある程度歳をとってくると、このような哲学的な問いを、それほど深刻にならずに肩の力を抜いて考えることができるようになってきました。

そこで改めて、生きる意味とは何か?という問いに対する答えを考えてみたいと思います。

まずは世間でよく言われる回答を簡単にまとめてみました。まだまだ今後詰めていく予定です。

もっと網羅的に系統的に(いわゆるMECEに)整理したいので、ご意見があれば遠慮なくお願いします。

 

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